ひどい政府は愚かな民がつくる

これは明治初期に福沢諭吉によって書かれた「学問のすすめ」の一節である。今日の日本政府がひどいかどうかはさておき、近年、学問のない愚かな民が数多く出現しているようだ。それでは学問のない民が多くいると、はたしてひどい政府ができあがることの他に、どのような弊害が生じるのだろうか。

愚かな民を学問のない民と定義したが、言い換えれば「疑うこともせずに周りの意見に流される人間」のことである。すなわち、彼らは学問がないために、ある事柄において疑う材料や判断基準を持たない。したがって、彼らは疑うことを知らないために声が大きい者に引きずられて、その事柄の是非に関係なく、声のするほうに流されてしまう。流される間に、自分の意見が全てと思い込み、その事柄に関して有益な議論を拒絶する。議論が出来ないならば、深くその事柄を知ることができない。話し合うことを軸とする議会制民主主義において、これを弊害と言わずして何を弊害というのか。

連日、安保法案反対のデモが中継されていた。彼らがまさしく上述したような愚かな民ではないか。もちろん自分で疑い、判断し、反対であるからデモに参加する。これは素晴らしいことだと思う。しかし、彼らの中で、安保法案を疑い、判断し、参加したと見受けられる人がどれだけいたことか。むしろ、マスコミの報道を自分の意見として妄信的に信じているようにしか伝わらなかった。曲がりなりにも最高学府である大学にいる学生もである。

この現状を打破するためにはどうするべきか。教師の質を上げるために行動するべきなのか。義務教育制度の中で疑う意識をもつような授業を組み込むべきか。自分も愚かな民のために、この場で判断することは難しい。

もちろん、何が正しいことなのかは誰にも分らない。しかし、自分で疑い判断し他者と議論を深めることで少しでも正しい方向に導かれるはずである。ひどい政府に導かないためにも、私たちは愚かな民を卒業しようではないか!!