教育の機会平等

教育の機会平等は保たれているのか。最近、大学の奨学金無償化にしろと唱えている学生がいたので考えてみたい。

私は教育の機会平等は保たれていると感じる。

奨学金制度がそうである。「奨学金は裕福ではない家庭の子供にも平等に教育を受ける機会をあたえるもの」である。これは本当に素晴らしいことだ。教育はその人の人格を形成する上でもとても重要なものである。したがって、必要不可欠なものとなる。そして、奨学金を利用することでお金がない人でも進学することができる。

確かに、奨学金は就職をする前から大きな借金となるものでもある。しかし、そのリスクを分かった上でより高度な教育を学びたいから進学するのではないのか。そして、実際に奨学金を借りることで本来進学することすら叶うはずがない人が進学し、教育を受けたのであれば後はその人の努力次第である。教育の機会平等という点では保たれている。さらに、学業に秀でていれば返済不要の奨学金も取得することができる。どうしても借金が苦しいと思う人は、それを取得するために(本来の学生の姿だとは思うが)学業に熱心に取り組むようにすればよいだけである。

もちろん、「奨学金を借りずに進学する人がいるのに自分だけが借金するのは不平等だ。」と唱えたいとも思う。しかし、冷酷かもしれないがこの出自に関して嘆いても仕方がない。とても深刻な問題ではあるが、だからといって自分が借りたお金を返さなくても良いという主張にはつながらない。自分が借りた金額はしっかりと返済する。それだけの当たり前のことである。

以上の事から、自分と同年代の学生が奨学金無償化にしろと声高に主張していることは、その人自身が勉強をしてこなかったことの裏返しである。現状を他人のせいにして悲観するのではなく、今置かれている状況を作り出したのは自分自身である事をまずはしっかりと自覚するべきだ。そして、この状況を打破するために自己研鑽を今からでも始めれば良い。