バイトと社会人は同列なのか

最近バイト先の人と話していて、違和感を持つようになった考えがある。それは【バイトでの経験が(正規雇用の)社会人になっても役に立つ】というものだ。これには、例えば塾講師のバイトをして、教師になりたいという職業的に密接な関連性のある人には当てはまるのかもしれない。しかし、他の関連性の薄い人には本当に役に立つのか。

バイトと社会人では責任ある仕事をするかしないかが大きな差異だと思う。確かに最近では、バイトなどの非正規雇用が増えている。しかし、彼らは社会人と比較して、いつ辞めてもおかしくない存在である。自然と一般的な企業であれば、最低限の仕事を任せるために、責任が大きい仕事を任せるようなことはしないはずである。バイトもそれを分かっているために、嫌なことがあったら別の仕事(バイト)を見つけようと考える。もちろん、バイトもお金をもらっているから同じという人がいるかもしれない。しかし、上にも書いたが、社会人とは仕事内容が異なる。必然的にそれに見合った金額も異なるはずである。バイトは稼いでいるのに見合う最低限の仕事をすれば良いので、両者はまた別物なはずである。

このように環境が全く異なるのに、この両者を同列に扱うのはどうかと思う。それにも関わらず、先日バイト先で嫌な人がいた時に愚痴をはいていたら「我慢できないならば、社会人になって取引先で嫌な人がいた時に同じように我慢できなくて自分が困る」と説教を垂れる人がいた。彼の言っていることはもちろん納得もできる。しかし、環境が異なるのに同列に扱っていることが理解できなかった。

社会人になり取引先との会談とは社名を背負って臨むものである。バイト先で嫌な人がいても我慢しなければならないという話とは次元が異なるものである。これが仮に「社会人になって、同じ職場に嫌な人がいた時に我慢できない」というように変化したら、違和感は和らぐ。しかし、これも同じ職場に嫌な人がいてもいつか責任ある仕事を協力して遂行する可能性があるために、本音と建て前を使いこなして仕事をする必要がある。一方、バイトでは辞めて異なる職場に移れば良い。同列に扱うことはやはり違和感がある。

「バイトは社会経験」という言葉を全否定する気はさらさらない。仕事をしてお金を稼ぐのだから、部分的には社会経験となる。また、バイトでの経験が社会に出てから役に立つことも知らないだけであるのかもしれない。しかし、両者を同列に扱い考えて話す人には賛同はできない。