親切と社会

高校時代に松葉杖を使って生活していた時期がある。この時、小さなことではあるが、電車の中で座席を譲ってもらうなど、他者の「親切さ」を強く感じる機会を得た。たまたま居合わせた多くの人たちが親切にしてくれた。松葉杖を使っているという見た目にも分かりやすい状況であったから,周囲の人も気軽に手を貸してくれたのではなかろうか。というのも,見ず知らずの人に親切にすることはなかなかに難しいからだ。

しかし、他人に親切にするということは、円滑な社会を形成するうえで不可欠なものである。ここでいう「社会」とは、広辞苑に拠れば、「人間が集まって共同生活を営む際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団」である。つまり、社会とは人と人との関係で成り立っている。

もし仮に、親切という意識も行動もこの世界に存在しないとすれば、自分中心に考える人であふれかえる。そうなると、そうした世界では人と人との関係が円滑に進まないだけでなく、人々の関係は希薄になる。そのような世界は、実質「個人の群れ」でしかない。

今日の社会には、そうした「個人の群れ」たる片鱗が随所で見られる。現在では直接他者と関わることなく、インターネットやSNSの発展により、他者との関係が希薄になってきている。しかも、一緒にいる時ですら眼前でスマホをいじる。したがって、他者と直接向き合う機会が減っている。これでは親切心は育たない。他者は無機質な画面の向こうにしかいないのである。

社会において不可欠な親切心を身につけるには、他者と直接向き合うことが必要だ。誰とも向き合うことなく一人でいる者には親切心は身についていかない。なぜなら、自分以外の誰かがその場にいて初めて親切をすることができるからである。

単なる「個人の群れ」ではなく、「社会」を形成するためにも、インターネットやSNSだけではなく、他者と一緒に同じ場所で時間を過ごしてみてはどうか。また、他者と会っている時にはスマホを控えてみてはどうか。その時、ちょっと親切心を発揮すればよい。親切は人から喜ばれるもので、他者との関係を築く上で気軽に行動に移せるものでもある。そうすれば、人々の関係は密になり、親切心に溢れた「社会」を取り戻せるだろう。