他者に認められる

他者に認められると嬉しく、認められないと悲しいと感じる人が世間では多いのではないだろうか。実際に自分にもそのような経験はある。部活で控えにいたときは監督に認められていないと悲しく感じたし、スタメンに選ばれたときは認められたと嬉しく感じた。しかし、今ではこれを疑問に思う。他者から評価されなかったとしても気にしない人もいるからだ。なぜ僕はそのように他者評価に一喜一憂していたのだろうか。

さしあたって、すぐに思いつく理由は、自分の判断力に自信がないというものである。自分の判断に自信がないと他者からの評価を当てにする。おそらく客観性を求めているからであろう。自分ではない他者からの評価なら、自分が下した判断ではないために、それが正しいと思い込むことができる。かつての僕がそうであった。自分の技量を判断できなかったのである。しかし、これでは相手の尺度によって測られることになり、振り回されるだけでなく、自分自身の判断力も育つことはない。

自分の判断力に自信があれば、他者の評価を当てにすることはない。やるべきことを把握したり、これで良いというように考えたりするようになるからだ。他者の評価が必要な状況であっても、他者評価は参考意見であり、少なくとも他者の尺度によって自分が一喜一憂することはなくなるであろう。他者評価と自己評価とを比較して、客観的に自らを振り返り、新たな判断をすることになるから、一喜一憂するような態度ではなく、冷静な態度で物事に当たれるであろう。

根本にある自分の判断力への自信というものを身につけるためには、相応の知識というものが必要になる。人によって程度の差はあると思うが、他者に負けない努力というものをしていれば、その分野では他者の評価を当てにすることはなくなる。その努力が知識に繋がり、判断力への自信にも繋がっていくはずだ。努力もしないで自分はできると思い込むような楽天家ならいざ知らず、こうした努力が自信を生むことは間違いないだろう。そして、他者評価は後からついてくる。独善でない限り、他者評価を参考意見として取り入れている限り、自己評価に続いて他者評価も上がるはずである。

だから、他者の尺度によって一喜一憂するような拙い判断力ではなく、自分の尺度で測れるような判断力を養いたい。また、相応の努力の末に他者評価の向上も後からついてくるような人間になりたい。