長男の役割

「お兄ちゃんだから我慢しなさい。」誰しもが一度は聞いたことあるセリフであると思う。なぜお兄ちゃんだと我慢しなければならないのか。まだ年端もいかない兄であったら理不尽ではないか。この理不尽さの根底にある、特に長男の役割はどういうものなのか。

明治期以降、日本では家父長制と呼ばれるものが導入された。これは言ってみれば父親がその家の顔であり、その長男がその家の顔を継ぎ、またその長男が家の顔を継ぎ・・・と連綿と続く価値観である。長男の役割は分かりやすく、家を継ぐという点でとても大きいものであった。

しかし、現代の家族という集団の中でこの価値観は一般的ではない。確かに一部の家、例えば天皇家や伝統のある家ではこの価値観は強く残っているはずだが、比較して一般的には古来ほど強く残っていない。

また、個人の意識が強い現代において、長男とはこうあるべきというレッテルを張るのはナンセンスなのかもしれないが、議論がすすまないので今回は言及しない。

それでは家を継ぐという影響力が小さいのであれば、現代の長男にどのような役割があるのであろうか。

それは良い意味でも悪い意味でもお手本になることである。これは普遍的なものでもあると思う。そもそも家族というのは人間が初めて所属する社会である。人間とは「社会的動物」であるために、社会で生きていかなければならない。したがって、家族という場でこれから所属する様々な社会生活で円滑に過ごすための手段を学んでいく必要がある。家族はこれから所属する社会とは異なり、血縁という関係や法的な縛りがあることがほとんどである。そのために失敗してもそこの社会から追い出されるということは少ないので、恰好の学ぶための場である。

つまり、長男は下の兄弟に自分の行動を見せて社会的生活の営みの手段を学ばせる必要がある。そのために例えば理不尽だが我慢するということを見せる必要もある。そのように見せておけば、弟はいつか成長した時にその必要性を理解できるはずだ。もちろん、幼少の時に我慢させられて下の兄弟に対して快く思っていない人もいるであろう。しかし、そういう時こそ『お兄ちゃんだから我慢』する必要があるのではないか。